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縁は縁を呼び、「花は咲けども」の歌が縁で、40年アマチュア歌手活動の影法師と、40年プロ歌手生活の高橋忠史が繋がり、繋がった縁は、双方と関わりのある大昌寺のご住職が知る事となり、そして、すべての縁が浜松に集結した。 [サポートクラブ日記]

影法師ツアー.jpg
11/16浜松での大昌寺・影法師ライブが決定。大昌寺のご住職が影法師をご存知で「花は咲けども」の曲をYouTubeにアップしていた縁と、1000日ライブの時から何度もライブでお世話になった縁もあり、浜松のゲストは高橋忠史さんと決定。
元々のきっかけを作った私にもぼちぼちのママさんから参加するようお誘いがありました。
ぼちぼちのママさんとは、山中恵美子さん。忠史さんが浜松でお世話になった方の中でも、私に紹介したいと言われていた人でした。
忠史さんが私に、逢わせたいと言ってくれるのは、とても珍しいことでした。浜松から歩き旅をする際にお店に尋ねて行き、その時、たまたま留守で会えず、次の機会の時に、どうしても会ってみたくなり、忠史さん不在でも、一人で呑み処・ぼちぼちへ会いに行きました。
山中さんは、ガン闘病中で何度も手術しながらも生き続けている闘病ママさん。
かつて、リサイクルや環境問題に関わる運動に携わっていたそうですが、人に会うのが好きで、呑み屋を続け、今は、抗がん剤もやめているのだという。
笑顔の素敵なパワフルな感じさえ受ける、がん闘病者とは思えない、素敵な酔っ払いママさん。
1000日ライブだけでなく、浜松駅からお店も近いので、忠史さん何度もお世話になったようです。
私は、田舎暮らしとは言え、パート収入だけで資金不足なので、福山から浜松まで新幹線を利用せず、出来るだけ遠くまで行く高速バスを利用して行くことに・・。
病気で障がい者の忠史さんが各駅を使って移動しているのに、、健常者の私も見習って節約、セツヤク・・。岡山の倉敷から名古屋まで深夜バスで行き、そこからは東海道線!時間はかかるが安く済む。浜松までスイカ利用で行ったが、改札で引っかかった。どうやら、各駅で行くには、西日本、東海と・・エリアごとに切符を買わねばならなかったようで・・。スイカで乗り換えは通って行けるが、改札出口でスイカでは出れず、駅員さんの所で再精算!
夜行バスで朝6時頃に名古屋で、東海道線で9時過ぎには浜松に着き、時間がたっぷりあったので日帰り温泉や、浜松の楽器博物館など、観光をしてから現地へ!
着いたら連絡して!と、山中さんから言われていたが、お迎えは無理そうなので、観光案内のところで路線バスのルートを聞き、ライブ会場へバスで向かいました。実は方向音痴な私だが、スマホやタブレットの地図の道案内で何とか迷子にはならずに知らない場所でも行けるのです。
大昌寺には、ライブのポスターが貼ってありました。
現地に着いたら、影法師の皆さんがライブの準備中で、音響の方々やご住職もいらして、まだ着いていないが、、高橋忠史さんは、どうなんだ!と・・。忠史さんの状況を聞かれ・・
各駅で来る事を聞いていて、、疲れて来るので、すぐにでも寝かせられるよう、布団を用意していてほしいと、連絡があったとの話で、、。
忠史さんとは方向違いで、別々に来た私だが、、岡山でも同じような状況でライブしたのでおおよそ想像出来る。。各駅での移動で、とにかく、移動だけで疲れて来るので、まずは体を休めたいと・・寝たいと言うでしょう。
リハーサルは、時間が無ければ出来なかったらなくてもいいが、ろれつがまわりにくいので声だしはしたいかもしれない。。体調的にはいい時があまりないのです。歩いて移動するだけでかなり体力を使うので疲れて到着して、まずは休んで少しでも疲れをとる、、ライブになればちょっと元気になるかも・・。
そんな説明をしました。
忠史さんが休んでいる時間を利用して、観光ドライブに連れて行ってくれると、、。
忠史さんの介護担当、付き添いで来た、高橋直人さんと一緒に、稲鶴さんが車を出してくれたので、中島田砂丘など連れて行ってもらいました。
お寺に戻ると、檀家さんの方々が、懐中電灯をもって外で駐車場案内をして下さっていました。
中では、忠史さんがリハーサルで唄い始めていました。
歌を聴きながら、前もって預かった販売用CDなどを並べて準備して・・。
開場の時間になるとお客さんが続々と入って来て、後ろが詰まりだしたので、前の方へ詰めるよう場内整理がされ、、いつのまにやら開演時間には、入りきらないほどのお客さん・・。
ライブは満員御礼!立ち見だ~!最終的には100名を超えるお客さんで溢れました。
前日の新聞記事掲載の告知効果もあるのだろう。
忠史さん難病闘病中の知らせと、影法師とのいきさつの詳しく書かれた記事は、忠史さんが1000日ライブでお世話になった人達を動かしたようです。
忠史さんの歌を生で聞けるのはこれが最後になるかも??
そう伝えられて誘われて来た人もいるだろう。
1000日ライブの時は、ライブ場所に困ると、呑み処・ぼちぼちへ行ったり、ぼちぼちのママさんが紹介した関係だという、大昌寺へ行って何度もライブさせていただいたのだと、、ぼちぼちのママさん・山中さんから後で伺いました。
過去、忠史さんのライブに何度も駆けつけて来てくれた人たちが、1000日ライブ以来の再会。。忠史さんが会場の後ろへ居るのを見つけると、挨拶しに来る人が後を絶たない。。
ライブの最初は、大昌寺の娘さんのキワ子さん。
打楽器(スチールバン)のプロアーティスト・・。
癒しの音楽。綺麗な音・・。「涙そうそう」まで、確かに癒しの音楽でした。
最後に震災地で元気を与えたという「世界に一つだけの花」は、PAからの音楽の印象が強くて、スチールバンが影を潜めた感じで、、賑やかな曲も出来る事を見せたかったのでしょうが、やらなくてもよかった気がしたのは私だけでしょうか。。
いよいよ忠史さんの出番!
体調は休んでもあまり良くはならないようで、、後ろから前へ出て行くのもやっと・・
ご住職の肩を借りて、前へ出て行き、紹介の際に、難病で闘病しながらも歌い続けていることを改めて紹介されました。
ライブ本番のスイッチが入った忠史さんは、ライブで喋り始め歌い始めると、それまで口ごもったような話し方だったのに、歌詞を大事に伝えようとするせいか、歌うと割と聞き取りやすい。
体調が悪いとは言いつつ、長年のライブ経験からの集中力と、魂のこもった命懸けのライブは、お客さんをも集中させました。そうそう!この声!忠史さんの迫力のある声は健在!
このところ、アカペラライブで歌ってきた歌を歌い、病気になって感じた話をしながら、歌い続けて「花は咲けども」は、ギターも出来なくなったので歌いませんでした。もしかしたら・・と・・以前録音した「花は咲けども」のカラオケバージョンもあるので、念のため持参したのですが、、忠史さんは、ガン!としてやらない、必要ないと・・「音楽は生じゃないと伝わらないから!」という拘りからでした。
最初のスチールバンのパソコンからの伴奏音源を使ったライブを聴いていて、忠史さんが言った意味がよくわかった気がしました。カラオケは出さない事にして正解。
この日の忠史さんは、どうにも体調が良くならない。
ライブも終盤「ワッハッハ」と「銀の雪」を歌い終えた所で、、胸が苦しい?急に汗が出て、気持ちが悪くなったと・・この日あと一曲歌うはずの曲をやらず、諦めてアカペラライブ終了!
久しぶりの満員のお客さんの前で、張り切り過ぎて過呼吸気味になったのかもしれない。。
今にも倒れるかもしれないと・・覚悟しなくちゃならないのは、忠史さん本人だけじゃない。
ライブ主催関係者全てに心配されることになり、、ハラハラしながらも、一曲出来なかったとは言え、何とか、自分のライブの出演をやり遂げた忠史さん。よく頑張って持ちこたえたと思います。
肺炎になっても、どんな状態でも1000日ライブをやり遂げてきた忠史さんだからこそなせる事。。
体調悪いながらも、魂のこもった命懸けのライブは凄みさえ感じ、多くの人の心を揺さぶり、励まされたと、、ライブ終了後のCDは、「ベストミックス」と「ありがとう」合計25枚もライブのお客さんが購入してくださいました。
忠史さんの難病・脊髄小脳変性症の病気は、運動機能を司る小脳が委縮して、脳からの神経伝達細胞を徐々に破壊して動かなくしていく進行性の難病で、進行度合いも人それぞれで、いつどこで何が動かなくなるかも医者でさえよく分かっていない治療法も解明出来ていない難病です。
忠史さん、半年前は、それほど難病であることが見た目にはあまりわかりませんでしたが、この半年で、随分進行したように思います。より、病人らしく、障がい者らしくなったとも言えます。
でも、本人は唄うことも歩く事も諦めていません。今ならまだ唄える!杖をつきながらもまだ歩ける。まだ大きな声も出る。生きるのが必死な分、命のメッセージを伝えられる。
ライブ告知の中日新聞・浜松遠州版の記事に「闘病シンガー」と書かれていました。
難病と共生しながら命懸けでこれからも歌い続ける。忠史さんのスタンスは何ら変わりはない。
応援する立場で、これからもライブを取り組んでください!と言いたいが、忠史さんのこの状況を理解し、どんな状況でも受け入れられる、ありのままの忠史さんと付き合える人でないと、今後のライブは難しいのかもしれません。応援する立場なのに、こんな事かいていいものか。。
そんな事を考え始めたら、文章をどう書いていいのか考えがまとまらなくなり、実にサポートクラブのページも半月以上も記事を書けないでいました。こんな事、初めてです。
まだ暗い、早朝4:30過ぎには起きて7:00から5時間。休憩無しの立ち仕事の疲れと、冷えた肉を触り続ける冷えからくる不調で、家に戻るとコタツに潜り込まないと身体が冷え切っていて寒くてしょうがない。体力も落ちているのか、情けないが、暫くパソコンに向かえない自分がいました。
プロの音楽活動、高橋忠史、歌手デビューから40年。あくまでもプロアーティストとしてこだわって生きてきた忠史さん。音楽にもライブのお喋りにもメッセージ性を持っていることが、メジャーな世界では煙たがられ、独自の自分なりの道を突き進んでライブ活動してきたのです。
そんな忠史さんが、影法師の作った「花は咲けども」の新たなる曲を依頼され、歌詞を見た時に、忠史さんは「こんな歌詞、自分には作れない!」と。。自分が作る歌詞には責任を持たねばならないが、他人が作った歌詞なら、気軽に作曲ができると・・。もう少し元気なイメージの曲と依頼されてすぐに忠史流の曲が完成。原曲を聴かないで作られた、もうひとつの「花は咲けども」・・。御蔵入りするかもしれない曲でしたが・・。曲が違っても、歌詞が伝われば問題ないでしょう?せっかく作った曲を、忠史さんが唄えるようにならないものかと・・私から影法師の遠藤さんに直訴して快諾していただき、影法師の「花は咲けどもプロジェクト」のYouTubeに一緒にアップしていただきました。その縁で繋がった影法師の方々は、山形に忠史さんがライブに行った際に、農繁期にも関わらず、わざわざライブにも駆けつけてくださいました。
ボーカルの横澤さんは、顔面神経痛の後遺症が多少あり、治らない病気の恐怖に苦しむ忠史さんに親近感を持たれているようでした。
浜松の大昌寺のご住職が、音楽好きで影法師をご存知で、わざわざ遠くまでライブを聴きに行かれていたとは・・。ずっと、忠史さんの事も、影法師の事も応援してFBに私が記事を載せているのを、ぼちぼちのママさん・山中さんがご覧になっていて、ご住職に、忠史さんとの「花は咲けども」繋がりを知らせてくださったようです。
影法師は、農業に従事しながらのアマチュア歌手生活40年。決してプロにはならないこだわりのアマチュアグループ!東北から物申す!東北農業現場からのメッセージを歌にして、節をつけて世に伝えているグループ。両者とも40年の歴史!プロとアマチュアの違いはあれど、拘りは近いものがあるようにさえ感じます。
浜松、初登場の、影法師大昌寺ライブ!中日新聞・浜松遠州版の詳しい説明もあり、フクシマ原発の現状と「花は咲けども」や、農家の現状をあからさまにコミカルに唄う影法師の歌は、満員のお客さんに受け入れられ、ライブ終了後の「鄙の影法師」の日本酒はあっという間に売れて、並べたCDも足りなくなり、追加を車まで取りに行く嬉しいハプニングもありました。
CDなどの販売は、ご住職の息子さん、副住職が担当してやってくださいました。
ライブ終了後に、檀家さんが作ってくださった料理で打ち上げがあり、あちこちで話しても話し足りない人達同士が12時位までそれぞれ話し込んでしまいました。
体調が悪かった忠史さんも、打ち上げの頃には少し落ち着き、入れ替わり、懐かしい面々が話しかけてきたり、マッサージしに来てくれたりして・・打ち上げも最後まで付き合いました。
浜松のライブが終わったら当分ライブは無さそうだと思っていたら、大昌寺ライブに来てくださったフアンの方がどうやら再びライブを取り組んでくださるようで・・有難いことです。
男性陣はお寺に宿泊。私は、ぼちぼちのママさん・山中さん宅へ宿泊。夜中の交流がこちらでも!夜遅くまで話は尽きない。がん闘病の話や人工膀胱の話など・・度重なる手術で身体切り刻んでも命果てるまで人生を楽しむ心を失わない、本当にたくましい心の持ち主。
忠史さんの歌う「ワッハッハ」の精神。人生笑顔を絶やさない事が大事と実践されている方です。
浜松からの戻りは、京都経由。東海道線の各駅で、忠史さんが歩き旅で向かうはずだったルートを辿るように移動。忠史さんは、体調不良で浜松から東京へ戻ったが、ライブの記憶がある心で通っただけ。京都では、「銀の雪」の歌の舞台となった「哲学の道」を歩きました。
私が行ったからとて、忠史さんの想いが届けられる訳ではないが、忠史さんゆかりの地をゆく旅となりました。






















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