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高橋忠史・還暦ウォーキングライブツアー無事完歩し、終了しました。 [サポートクラブ日記]

高橋忠史・サポートクラブを作って、ほぼ1年。単に、フェイスブックページにいいね!をするだけで繋がれているので、自分がサポートクラブの一員である。と認識している人は、ライブの主催や応援に動いた人くらいしか自覚が無いかもしれません。そんなゆるい繋がりの中からも、昔懐かしい忠史さんに関わってきた人達とも繋がり、コメントやり取りしたりしながら交流を深めてきました。5月末に100を超え、旅のクライマックスあたりに135という数字。インサイトを見ると、記事の瞬間最大アクセスが11476という数字。山添青年団がブログ記事に登場したあたりの数です。単に、忠史さんのブログ記事を中心にフェイスブック、ツイッター、ネット広告も少し使い拡散していたのですが、無名の私の記事を見ている人が増え、今や個人ページの方は、294の方と繋がっています。ブログ記事を書くたびに発信していたので、一日に何回もページを開く。同じ人が、何回もアクセスしている・・この後どうなったか気になりまた開く。一日1回でもいいものを、記事を追っかけさせるためにわざと細かく更新したのは、リアルタイム情報を発信し続けるためです。
山添青年団の峠さんとは、昨年10月にフェィスブックで忠史さんと繋がり、こちらの発信する記事を見てくれていました。5/17今回の旅が始まり5/19に峠さんは自身のフェィスブックで、山添青年団が機能しているか仲間に確認している記事にミニコンサートでもできないものか打診していました。その記事にいいね!をしました。それから時は過ぎ5/31四日市に到着したあたりで、その後のコースを伺いながらも、山添村に寄れないかという内容のメッセージが入り、すぐ忠史さんへ連絡しました。具体的なライブの意向を伝えてきた夜遅い初めてのメッセージに夜中の電話。忠史さんからは、峠さんの連絡先がわからないと言われ、フェィスブックは、ページを開いているのがわかるので、まだ起きているからフェイスブックで簡単なコメント入れれば相手が反応するのがわかりますからと!。峠さんにはフェイスブックでなくメールにして下さいとコメント入れて、無事連絡取り合うことができました。6/5のライブが決まり、6/3に、山添村の3人が実際に忠史さんに打ち合わせ兼ねてわざわざ居所探し、会いに行ってくれています。
また、奈良の岡村さんには、忠史さんの方から、到着日前日ライブを設定してほしいと依頼して生駒ライブが企画されました。私も奈良入り前日する予定でしたので、参加する意向を伝え、会場決まった連絡は6/2でした。実際にお会いできるのを楽しみにしていました。忠史さんが道に迷って中々会場にたどり着かないので探しに出かけたり、ライブ会場の駅からの道も丁寧に○○の建物を右へとか迷わないような案内をつけてメールしてくれていたり、面倒見の良い方でした。こういう人たちに忠史さんは支えられてきたんだと、改めて忠史さんの先にいる素敵な方々の存在を確認できた旅でした。
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高橋忠史サポートクラブのページにいいね!の数が、一昨日100を超え昨日はいきなり117まで。。拡げると湧き出すように現れる高橋忠史フアンの方々。 [サポートクラブ日記]

高橋忠史さんの応援をすべく、ボランティアマネージャーをし始め、フェイスブックページを作り、ページにいいね!が100までは結構時間がかかりました。忠史さんの宣伝をすればするほど、忠史さんのフアンにたどり着く。きっと、私の事は知らなくても、それぞれ、自分の方が忠史さんとは長い付き合いだとか、昔から知っているとか・・どんだけ世話したことかとか・・思われる人も多いでしょう。付き合いの深い人は全国に散らばっています。そう、散らばっている人達に会いに行く忠史さんですが、人の名前と顔が一致しない・・覚えていない・・???・・思い出せない・・。。いつ何のときにどこで??・・誰でしたっけ?・・散々お世話になった人だというのに、名前が思い出せない・・どこでどういう事でかかわっていたかを、話しているうちに、やっと思い出してくるなど・・。最近、ブラッドピット氏の相貌失認の症状の記事が話題を呼んでいるが、高橋忠史さんもそれに近いものがあります。数限りない人達と出会い、散々お世話になったあげく、たまに電話やメールをしても、思い出してもらえない!どこでお会いしましたっけ??なんて、失礼な人なんだろう。。自分はそんな程度の関係だったのかと、深いかかわりを持っていた人ほど、ショックを受け、人によっては傷ついて去ってしまう。数多くの人に会い過ぎて、覚える容量を超えてしまっているのかもしれませんが、忠史さん本人は悪気は無いのです。そして、自分から中々、お願いします!と人に頭を下げるのが苦手で、困っていてもギリギリまで我慢する性質。昨年は、体調も悪かったこともあるが、ミックスダウン・・音作りに夢中になりすぎて、ライブの宣伝もあまり出来ず、ライブ仕事はかなり減っていました。忠史さんと再会のきっかけになったのは、フェィスブック。まだ、登録しただけで、ほとんど見ていないこ事が多く、コメントに気が付くまで3か月ほどかかり、コメント返事が来ても・・どこでお会いしましたっけ?・・私もそう言われた一人。私のことなど覚えていなくてもしょうがないほど、目立つ印象的な存在では無いのは、私の方もわかっていたので、思い出すまで、印象的なイベントの話や、写真を送って、やっと思い出してもらいました。会社の上司がやっているイベントに!と紹介し、東京には忠史さんの家族もいます。療養しながらもたまにライブをやっていました。体調が悪くてもどんな状態でもライブをやってきた1000日ライブなど・・本人は頑張ったであろうが、聞く人にはあまり関係ない事。よく忠史さんを知っている所ならなら支障ないかもしれないが・・始めて行ったイベント会場で、誰にも言わず突然居なくなり・・車で寝ている・・など、知らない人にとっては考えられない事を平気でしてしまう忠史さんに・・一般の人の目がある所では、してはいけない!と・・。些細なことのようでも、実際に重要人物に紹介したかったのにその場に居なくて紹介できなかったなど・・支障があることがあり、イベントに出来るだけ付いて行って忠史さんの行動を見張っているようになり、感じたことは忠史さんに言ってきました。人の間に入りフォローした方がいいと思ったのもそういう事がきっかけです。忠史さんとの信頼関係を作ることにも時間をかけ、何度も言われました、忠史さん本人から、自分に関わってもつらい想いをするだけ。嫌なら無理してやってもらわなくてもいい・・ボランティアマネージャー。お金を出すことはあっても、忠史さんから雇われている訳じゃない、押しかけマネージャーです。私も年下にもかかわらず、思いこんだらかなりはっきり言うので、生意気な女だと思っているでしょう。私は、元気に唄う忠史さんに会いたいだけ。私が知っている高橋忠史さんは、近寄りがたいほどギラギラしていた30代後半~40代。まだ、ギタリスト日高靖志さんと一緒に活動していた頃のこと。それなりに古いとはいえ、それより古い付き合いの人は沢山いるでしょう。それほど深い付き合いは無かった関係から、この一年で、こういう事をすることにして、忠史さんのフアンと繋がり、情報発信するようになり、可能ならライブ会場にも行く。フェィスブックは実名で登録していて、顔写真も見れることが多い。忠史さんの記憶を呼び戻すのに、顔写真は結構効果的!あまり使ってなかったフェィスブックを、もっと活用した方がいいと勧めたのは私です。前にも記事を書いたが、シュガーマンの映画になった、70年代前半、アメリカのシンガーソングライターロドリゲスの話を知っていますか?スラム街などの事を唄うメッセージソング、一枚のCDからコピーされた歌が、アパルトヘイトの低層労働者たちを励まし、アパルトヘイト政策解除の原動力にもなったと言われている。意味のあるメッセージソングばかりなのでアメリカでは売れなかったが、心に響く歌を唄う。コアな熱心なフアンが、そのシンガーソングライターの所在を探し出し、表舞台に引っ張り出すというドキュメンタリー物語です。映画を見た印象は、やはり高橋忠史さんを思い出す。還暦を過ぎて、いまだ音楽を諦めず追求している高橋忠史さんは、日本のロドリゲス的存在。アルバムフアンも多い。フアンの熱意によってこそ、表舞台に引っ張り出せるシンガーソングライター。それだけのフアンがいるはず。いまだ唄い続けています、今一度、高橋忠史さんを応援して下さい。音楽でしか生きていけない男は、自分の音楽でフアンに救われることでしょう。
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5/16~5/17浜松へ忠史さんの歩き旅の見送りに行ってきました。その2 [サポートクラブ日記]

17日、ホテルで朝食を済ませ、戻りが何時になるかわからないので、一緒に出かけることにして、チェックアウトし、駅の駐車場から、車で寸座の縣さん宅へ向かいました。留守でも車を置かせてもらえると、置きに行ったら、留守を守るきれいな飼い犬に吠えられました。奥浜名湖のほとり、景色のいい所です。寸座の駅で電車に乗り、しばし、浜名湖を眺めながらローカル線、天浜線を楽しむ。西鹿島で、遠州鉄道に乗り換え、浜松に戻りました。浜松に戻ってもやることが・・。まずは、楽譜を探しに2軒ほど行ったが欲しいものは見つからず、諦めてネットで探すことにして、昼食。お昼はB級グルメでも有名になった浜松餃子定食。食事を済ませてやっと、出発地点に向かうバスに乗る。バスは15番乗り場から、どれに乗っても着くと、前日に私が調べておいた。バスに乗ってしばらく行くと、忠史さんが昨年、旅の途中で具合悪くなり、2時間も動けなかった場所を指さして教えてくれた。それからバス停3つ4つ先まで歩いた距離に、本人がびっくりしていた。昨年、雨にぬれ体も冷え、胃も痛くて動けなくなった。銭取バス停まで相当の距離を歩いて寒さに耐えバスを待ったリアルな記憶。リベンジの再出発。到着して一服していると、すぐ、望遠カメラを視線の先に見つけ、あっ。。岡部さん?!朝から何時間も待機していた岡部さん、こっそり撮るはずがあっという間に見つかってしまいました。忠史さんには内緒で現地入りし、いつかいつかと、私には何度もメール来ましたが、岡部さん待っているとも言えず、状況を何度かメールしてました。岡部さんが、足骨折治療中にもかかわらず、一緒に歩ける所まで歩くと言いだし、私は、その場を去りがたくなり、つい、一緒に歩き出しました。歩くつもりが無かったので靴も歩く靴でないし、荷物もある。忠史さんは、どんどん歩いているうちにスピードが増していく。岡部さんが足が完治していないのを思い出し、途中からバスで先に行き、待ち伏せしてはまた少し歩き、またバスに乗る事3回、それでも、かなりの距離を歩きました。途中、高橋君から電話が入ったり、フェイスブックを見ている人からコメントが入ったりしました。忠史さんの歩いた距離は約10キロ。私が歩いたのは1/3位でしょうが、一緒に歩きました。姫街道歴史的史跡が点々とある、旧街道。夕方、日が陰った頃に、細江町に入り、川を渡り、この日の目的地、気賀駅に着きました。今日はここまで歩けばOK!あとは、電車か、車で迎えに来てもらうか・・。気賀駅から、浜松まで、岡部さんとバスで二人帰ることにして、忠史さんと別れました。また、ゴールには行くから!岡部さんもゴールに向かうそうな。浜松に着いて、まだ、岡部さん浜松餃子を食べていないとなり、昼行ったお店へ再び行き、夕飯を食べに・・。今度はチャーハンにしました。歩いた後でしたので、おなかもすいていて特に美味しく食べられました。そのあとは、自由席と、指定席、別々の電車でしたので、私は、先にひかりの自由席で帰りました。結局、一日、忠史さんに付き合ってしまいました。出発地点に、岡部さんが現れて、忠史さんも気分が盛り上がって頑張って歩けたようです。ひとりじゃ今日、ここまで歩けてないと言われました。
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5/16~5/17浜松へ、忠史さんの歩き旅の見送りに行ってきました。その1 [サポートクラブ日記]

5/16夕方、浜松FMのラジオ放送の生出演の予定を入れていました。韓国打楽器アーティストのリ・チャンソプさんのライブの打ち上げの席で、たった一度しかお会いしていない、新井さんという浜松の方で、ジュビロ磐田の放送に関わっているアナウンサーの方と、フェィスブックで、細々と繋がっていました。その関係を頼って、ラジオの放送で、ウォーキングライブツアーの告知を出来ないかお願いしましたが、自分の担当する番組では無理となり、新井さんは、お友達のアナウンサーを紹介してくれました。そして、鈴木さんを紹介してくださいましたので、新井さんのフェィスブック繋がりから鈴木さんを見つけ出し、早速繋がりお願いしましたら、統括部長まで話してくれていて、資料を送るよう指示がありました。一筆書き、CDと資料を送りました。着くとすぐ電話が入り、ラジオの生出演が出来るか聞かれ、即答でお願いします!と、出発日の前日にすることにしました。時間は10分程度。有難い。後で、忠史さんに言うと、あ~その人社長!その後、忠史さんとは、お知り合いだったことが判明!電話番号まで知っている。昔ラジオによく出演していて、何度もスタジオにも行ったことがあると言う。。何だ―お知り合いでしたか。。って感じ。。私が人づてにやっとたどり着いたのは忠史さんのお知り合い。。でも、出演を段取りしたのは私だから、私も行くべきでしょう。何より、時間通りに忠史さんが来れるのか、いつものごとくひやひやしながら待つことに!5時ごろに待ち合わせしたのに、来たのは6時近かった。忠史さん、時間より遅れて来がちなので、正確な打ち合わせ時間より早くサバよんで時間を待ち合わせる。この日も、車を置いてくる時間が無くなったと大阪から直に来ることになり、車でした。5時ごろまだ車だと電話が来たが、出演時間が、1時間遅れに変更なったことも、はっきり告げてなかったのが幸いし、時間に間に合って入れました。鈴木さんは、磐田の国分寺がある方に住んでいる方で、地元のローカルな話ができました。放送終了後、ホテルにチェックインし車を移動し、夕食・・と浜松の繁華街の方を歩きました。酒も飲まないし、安くファミレスで済まそうと、サイゼリアに入り食事をしてたら、気がつけば周りが若い中学か高校生ばかりの若者だらけで、中年のおじさんオバサンは自分たちだけだと二人で顔を見合わせておかしくなって笑いました。!その後、ホテルの部屋に戻り、もう少し話すことにし、最近の忠史さんの心境の変化について聞くと、きっと、先の事が少し見えてきたのがあるのだという。奥さんのパート勤めが定年になること。一緒に暮らせることが、現実的になってきたこと。少し先のことが見えるようになり、励みになっているようです。翌日、出発日だが、出発前に色々やりたいことがある忠史さん。車を先に置きに行き、戻らねばならない。朝食食べたら、出かけることに予定しました。
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高橋忠史・・いよいよ還暦ウォーキングライブツアー5/17~6/7姫街道・・のらりくらりと天平の道・・歩き始めます! [サポートクラブ日記]

昨年の夏、高橋忠史さんとの再会をきっかけに、マネージャー的な事に関わり始めて、最初に忠史さん本人に言われたのは、高橋忠史に関わって、百害あって一利無し!無理して関わりつらい想いをするならやめた方がいいと・・。まだまだ、信頼関係もさほど無く、ちょっとだけ熱心なフアンにしか見えなかったのでしょう。暫く・・多くの人に反対されながらも、6年もの間、音楽作りで山籠もり状態であった忠史さんは、再会してから、いつ会っても体調が悪いのもあり、どうも、昔の元気な忠史さんではなかったのです。相変わらずお金も無い。どんな状態でも俺は唄ってきた!体調悪いのが明らかな状態は、胃の痛みから。病院嫌いが病院へ行ったら出てこれないような恐怖で、なかなか行かず・・。気持ちもどこか卑屈になっているようにも感じていました。少しフォローしないと、このままじゃいい関係が作れないかも・・。自分がせっかく上司におすすめのアーティストとして呼んだのに、お互いにガッカリさせたくない。唄を聞けば、いい!と思ってもらえても、それ以外のことはお粗末なことがあり・・忠史さんは、一人で長くやっているけど・・マネージャーがいた方がいいと感じたのです。サポートクラブのフェィスブックページを作り、忘れている人や、全国に散らばっているコアなフアンの人たちを拾いはじめ繋がりを持ち、情報提供して思い出してもらうことにしたのも、沢山関わった人たちの義理を欠き、お礼のひとつも言わず、世話になった方も思い出さず忘れてしまう忠史さんじゃ、いつか人の心は冷めてしまい離れてしまうでしょう。これはまずい・・あんなに世話したのに・・忘れてしまう程度の関係だと相手はがっかりして断ち切ってしまいかねない。忠史さんのフェィスブック繋がりの人と繋がりまくりました。出来るだけ、コメント入れて、繋がってもらい、どこの人か過去の忠史さんの日記を読みながら登場人物とある程度照合したりもしました。去年の秋以降、仲山さんから距離をおくと言われた時、忠史さんからは、適当な言い訳してサポートクラブも悪口書いて閉鎖してもいいと言われたのですが・・。忠史さんを応援するために始めたものに非難するようなことは書くつもりがない!と、「私はやめません!」宣言を忠史さんに言って、自分なりにある意味突っ走った活動をし始めました。人は、ひとりにされると自分がやらねばと、使命のようなものを感じて頑張るのです。真っ先に、自分がやりたいからやっているということを忠史さんに黙認してもらい、サポートクラブの宣伝とグッズ作製。ブログやフェイスブックページに記事をせっせと書きました。別に、忠史さんに指示されている訳でもなく、スケジュールを確認して、今どこで何をしているのかを聞き記事にしました。ホームページも更新をなかなかせず、ブログも書き途絶え、音信不通状態になる忠史さんの代わりに、記事も書き、どこかで倒れているんじゃないかと心配する人達に情報を提供しました。千葉のイベントやバッカスライブ、島村楽器のライブ・・イベントの宣伝をするようにしたら、コンサートに駆けつけて来てくれる人が現れ始めました。バッカスライブなど、繰り返しライブをするようになると、ご一緒出来た方たちとも顔なじみになり、フェィスブックでも繋がったりして交流を深められました。最近は、忠史さん繋がりの関係で、宣伝してくれたり、共に行動してくれたり・・一緒に動いてくれたり、力になってくれる人が少しずつ増えてきました。これは、忠史さんの唄う姿を見て、惹かれるから出てくることです。そして数は力・・いいと思ってくれる人を繋げていくのが私の使命です。長年連れ添った忠史さんの奥様は、もうすぐ定年で、仕事辞めたら、忠史さんに付いて歩いてもいいような話を最近されたと伺いました。これは、画期的な事です。奥様は、忠史さんに仕事は家に持ち込んではならない!仕事と結婚した訳じゃないから・・と、忠史さんの仕事に関しては、ずっと突き放してきた人です。それでも、忠史さんは奥様の事が今でも大好きです。その、奥様の一言は、きっと、この後のウォーキングライブツアーの励みになるでしょう。先日、花小金井のTooLBoXで、忠史さん、自分から今からここで歌を唄ってもいいですか?と、直接交渉した時には、気合というか何か、スイッチ入ったような忠史さんを感じたので、このウォーキングライブツアー、大丈夫!行けそう!と感じました。やっぱり、奥様・のり子さんの存在に勝るものは無いのでしょう。励みがあるというのは、やはり、唄に出るのです。TooLBoXでの、「トンネル抜けて」の一曲は、今までには無かった忠史さんの気合を感じました。
もう、大丈夫。きっと、やり遂げることが出来るでしょう!旅が終われば、奥様と暮らせるということを、夢見て、頑張れることでしょう。旅は基本ひとり歩き旅!旅の道中、応援宜しくお願いします。
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忠史さんと仲山さん、飲み語りあう仲間の前で、完全和解!本音で語りあう関係の中で、仲間同士の信頼も深める。泊まり込みの合宿のようなハーブガーデンイベントでした。 [サポートクラブ日記]

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GWの千葉のハーブガーデン大多喜のイベントは、1年以上前からの仲山さんの構想が、やっと実現した形で迎えられました。このイベントには、忠史さん無しでは考えられない。そう思っていたのは仲山さん。しばらく離れていたものの、やっぱり、忠史さんに来てほしい・・。忠史さんを待ちわびて、毎日忠史さんのCDを聞いては、励まされていたという仲山さん。ハーブガーデンを盛り上げるための企画を持って行って、いろいろやってみたが、どこに頼んでも上手くいかなかったというホテル側は、仲山さんの千葉の地元に対する熱意と貢献度と仲山さんの勢いに期待してもいるが、ビジネスとして受けているので、失敗したら後が無い想いの仲山さん・・。OfficeAgainとしても、今後の仕事に影響する。相当なプレッシャーを抱えてのハーブガーデンのイベントに掛ける仲山さんの想いを聞く前からリハーサルと1日目のライブでしっかり忠史さんは応えていました。こういう時は、お客様よりも先に従業員の心を掴まないとまた呼んでもらえない。そういうことをわかっている忠史さん。まだ、マイクを設定していない舞台だけの場所で生唄リハーサルをやりだし、初めて生ライブを聞いたという従業員が、ビンビン心に入ってくると言っていたそうな。2日夜は、まだCDを作りきれていなかったので、CDを作る作業を忠史さんは部屋で一人、パソコンとプリンター持ち込んで作業していました。15枚分のCDをホテル側が買い取ってくれる。そのほかにも売る分は別に用意ということでした。3日になり、朝から外では着ぐるみを着て、お客様を迎えようと、ムーミンに出てくるキャラクターのスナフキンやリトルミイの衣裳やウサギやトラの顔出しタイプの着ぐるみが用意されていて、私にもウサギを着るよう指示されました。ハーブガーデンのメルヘンチックな景色に着ぐるみは妙にマッチしていて、居るだけでも存在感抜群!いいよ!ゆるキャラブームもあり景色にドンピシャ!地元の夷隅鉄道もムーミン列車を走らせているし、ここのイメージによく合う。お互いに褒め合いながらお客さんとの写真に入ったり。ハーブガーデンスタッフとして見られ、お役様から声をかけられるし、目立っていい。一日のイベントが3時頃終わり、やってみて感じたホテル側からの要望が改めて話され、翌日の改善点が明確になりました。そのあとは泊まって明日に備えるだけなので、一部屋に集まり、皆で飲みはじめ、語り始め、一日目の反省会も兼ねて話し合われました。そこで、改めて、それぞれの仲間同士の関係性をも語りだし、色々、忠史さんと仲山さんの間でメールでのゴタゴタ行き違いもあったものの、実際に再会して完全和解!忠史さんを待ちわびていた仲山さんからは、忠史さんが戻って来てくれたことに感激し、抱き合いこそしないが「忠史さん、帰ってきてくれたから、もう離さないよ!今後も来てもらうからそのつもりでいて!」と、まるで、愛の告白のようなお言葉!皆の居る前でもう、忠史さんに目がハートマーク状態!この日、「トンネル抜けて」を舞台で最後に唄っていたが、一番心に響いていて、泣きそーだったのは仲山さんだったかもしれない。もう一人、小泉さんも若い頃の忠史さんを知っていて、30年くらい前、渋谷のジャンジャンで、ロックグループバンド出演者が続く中で、アコーステックギター1本で勝負する忠史さんて、カッコよかった~と昔のことを懐かしみ、ミュージシャンとして憧れの存在。この方も忠史さんの魅力を知っている人。音楽談義や、自分の過去のことなど語りだし、泣き上戸の小泉さんは、感情が高ぶり、やっぱり泣き出した。ボランティア畑だった仲山さんが、プロのプロデュースするようにもなり、仲山さんがどこを目指しているのか・・。仲間同士で、一緒にやっているからわかってくれているだろうではなく、やっぱり、言葉に出して伝え合わないといけないと、普段あまり話さない事を本音で話す場ともなり、仲間同士で、お互いの関係性をも確認し合える話ができ、忠史さんも缶ビール1本程度ですが、久しぶりに美味しいお酒を飲むことが出来ました。1日目の反省を元に、2日目を改善した内容で、外のイベントは行われました。中のライブも、外に音が聞こえやすいように、お天気もいいし窓を開けて音を外にも聞こえやすいようにしたり、自分たちも外から来たらどう見えるか聞こえるか考えて2日目のイベントを行いました。今回の2日間のイベントの評価は、いかがなものか・・。まだ、聞こえて来てはいないが、手ごたえの感じる今後のヒントが見つかったような印象を受けました。
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高橋忠史宣伝グッズ!ボールペンに引き続き、こんなもの作ってみました。キャップ2種類。取り外しできる磁石つき車用広告ステッカー&バンパーステッカー。目に見えるもので宣伝効果を! [サポートクラブ日記]

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くだらないと思われるかもしれませんが、他にスタッフもいないし、思いつくことはとりあえず何でもやってみようと、こんなものを作ってみました。イベント会場や出先で、活用しようかと・・・。
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高橋忠史・・今、まだ大阪の実家です。母親の葬儀は親族のみで・・持病の胃潰瘍また悪くなり、実家から病院・・本格的に検査・治療・・母親のおかげです。明日は磐田へ! [サポートクラブ日記]

高橋忠史さんの母親が亡くなり、葬儀は、親族のみで行われました。おかげで、他人を誰も呼ばなかったのが幸いし、気兼ねなく喪主でありながら泣くことが出来たということでした。4/2に亡くなったと知らせを受け、それから大阪へ向かい、3日にお通夜。4日に告別式。疲れもピークを越えたのか、忠史さんも具合が悪くなったようで、6日に電話をしても出ないと思ったら、「病院だから電話に出れません」とだけメールが入りました。元々、個人メールのチェックをあまりしない人ではありますが、その後もメールをしても返事はありませんでした。私も、田舎へ行っていたので、15日、東京に戻ってから電話し、やっと繋がり30分ほど電話で話し、伝えたかった仕事の連絡と、忠史さんから詳しい話が聞けました。具合が悪くなって行かれた病院は、大阪の地元の総合病院。かつて、妹さんも胃潰瘍を患ったそうで、その時お世話になった病院とのことです。忠史さんも、胃潰瘍はわかっていたのですが、磐田で診察してもなかなか胃カメラの飲むまでやらなかったのですが、前からの含めて、3か所が胃潰瘍でそれも、一か所は危なく胃に穴があきそうな危険な状態でしたが、まだ穴があくまではいってなかったというところで病院へ行くことが出来、それから薬を飲んでいて、痛みは嘘のように無くなり、普通の食事が一人前しっかり食べれるくらい回復してきているそうです。2日からずっと大阪の実家ということで、ちゃんと布団に寝る生活が出来ているのも体にはいいことです。今度は胃カメラまで飲んで検査し、その後のライブに支障がないよう、ちゃんと病院へ行くことにするそうです。母親が自分の死をもって忠史さんを実家へ呼んで、病院へ行かせてくれたのだろうと、母親に感謝したいと言っておりました。4月は17.19.24日と磐田の中学校でのプロジェクト7のライブ予定があるので、磐田に行かねばならないのですが、20日また大阪に戻り病院へ行き、その後の診断結果を聞くという予定になっています。予定通り、ウォーキングライブの予定は変えません。過去のライブも、どんな状態でもやってきたのですから・・また、ゴールデンウィークの5月3日、4日は、二日続けての千葉・大多喜ハーブガーデンのライブの予定になりました。2日から私も同行、現地入りです。一日2ステージの体力を蓄えておく必要があります。
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5月17日からのウォーキングライブツアーの協力者を募集中!また、6/7(金)お昼の東大寺到着の夢風ひろばへ、高橋忠史に会いに来ませんか? [PR]

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高橋忠史の還暦ウォーキングライブツアーを5/17~予定していますが、静岡県浜松の国道257号線、姫街道(銭取バス停付近)を再出発地点とし、おもに姫街道をたどってライブをしながら歩きます。歩く旅の予定のルートの目安となる町として、静岡県・浜松⇒豊川(1号線)⇒豊明⇒四日市⇒亀山⇒栗東⇒草津⇒京都⇒奈良⇒東大寺となります。ここでなら、ライブが可能とか、近辺なので泊めてもいいなど・・旅のご協力者を募集しております。間接的でも、情報提供していただけると有難いです。また、到着地点の東大寺には、6/7のお昼頃を予定にし、東大寺夢風ひろばのFM奈良ドットコムの生放送番組で取り上げてもらおうと交渉中です。到着の東大寺に、到着を一緒に見届ける方も、募っています。高橋忠史に会いに来ませんか?ご協力いただける方は、高橋忠史TEL090-8849-0907
ホームページhttp://www.ne.jp/asahi/tadashi/singsong/または
音楽の森の泉・高橋忠史サポートクラブ・城戸ひとみTEL090-8489-6150 携帯アドレスkh1103kon-5@i.softbank.jpまでお知らせください。
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3/28 我が家にて、無い物ねだりのプレミアムCD録音「時は流れ人は生きている」アルバムより抜粋!目の前で、パソコンを前に生収録 [サポートクラブ日記]

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ウォーキングライブツアー宣伝用のチラシを作りました。直す所は無いと言われました。これをとりあえず、近々郵送で知り合いの所へ送るそうです。チラシには、昨年の出発日も入れ、3日で体調壊し、断念せざるをえなかったことも書き、今回の再出発日も入れ、確定の到着日も入れました。6/7到着確定は、翌日、6/8に磐田の国分寺まつりがあり、歩き通した報告をしたいと思っているからです。5/11に、FM西東京のお昼の番組に出演させていただく予定で、この収録後、東京出発となります。再出発に向け、磐田でホームコンサートをしてくれる所があり、その日程の関係で17日を出発日としました。東大寺到着は、FMどっとこむ奈良のお昼の生放送番組の出演交渉もしています。歩き旅の道中、ライブ場所と、宿泊場所の協力が必要なことも明記しました。昨年の二の舞いにならないよう、体調管理の面でも、出来るだけ考えられる準備をすることが当面の課題です。まずは、グラグラしている奥歯を自分で抜かず、歯医者へ行って抜く事。可能なら、かみ合わせるための奥歯の入れ歯を作ること。かめないからと、まともな食事がとれないことで、胃にも負担がかかり体力がつく栄養が取れないということになりかねないからです。徐々に、歩くウォーキングの練習を始め、体を慣らすこと。体力回復のため、車中泊は出来るだけ避け、布団に寝る生活を考えること。チラシや名刺に、私の連絡先をわざわざ入れているのは、サポートクラブのバックアップ宣言!連絡先は、1箇所だけでない方がいい場合もあります。本人直接でない方がいい人もいるからです。苦情もあり得るし、もしも倒れたら、身元引受人になるかもしれない。そんなことをさせたくなかったら、忠史さんも頑張るでしょう。旅の途中経過、状況なども、報告してもらい、サポートクラブで今後記事にしていこうと思っています。

忠史さんは、私が頼んでいるCD依頼内容を、よく理解してませんでした。というのも、忠史さんのホームページには、このCDは、発売中止と表示していながら、送料込み3000円、ご希望の方はメールにて連絡下さいと、アドレスまで再度表記して書き込まれていたのを私が見て、発売中止でも、頼めば作ってくれるのかと思い込み依頼したのに、忠史さんは、この文章を消し忘れていたことを認識していなかったのです。なぜ、発売中止だったかというと、データーがバックアップ出来ず、元が無い状態の物だから簡単には出来ないと、発売中止のつもりでいたのです。「時は流れ人は生きている」は、証明のアルバムにも入っているのですが、他の曲が、持っていない曲が多く、無いものだけでも欲しいということが、家に来て話してから、やっと理解してもらいました。と、いうことで、全部、生収録!今日は、パソコンとマイクとギターを持参!持っていない曲だけの収録となりましたが、そのため他には無いプレミアムCDとなりました。仮の状態で1枚もらい、後日、編集し直したのをくれることになりました。生収録を、目の前で生で一人見物。何とも贅沢な独り占め状態ライブ。無表記のままCDをもらい、お題目表示は、私がパソコンで書き込み印字しました。
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