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岡崎・八曜舎・高橋忠史アカペラライブに行ってきました。 [サポートクラブ日記]

八曜舎.jpg
普段は土日働くシフトで仕事ですが、6~7日と連休をもらえたので心はライブ!
岡崎へ行くしかない!と・・。
忠史さんが予約した、同じホテルに宿泊予約し、交通費を安く済ませるために、朝、8時頃の電車に乗り、在来線の旅!最寄りの大門駅で岡崎までのJR切符を往復購入。
ローカルな山や川など、景色を見ながらの列車旅も悪くない。ローカル線の旅は、思いのほか慌ただしい乗り換えに緊張感があります。乗り換え2~3分など、ホームと電車を確認してすぐ乗り込むので、トイレ休憩や弁当はどうするかなど・・うっかりすると電車内の販売が無い分、食べ損ねることも・・。行きの米原駅の乗り換え通路でたまたまお弁当を売っていたのをゲット!
大垣・姫路経由で、快速電車に乗り換えておよそ8時間。岡崎駅に着き、目的地の東岡崎にはバス!に乗ろうと思ったが、トイレに行った時間がロスとなり、1本出たばかり・・。時間も少しあったので、歩いてみようと・・歩き始めたが、思ったより距離があり、やっぱり途中でバスに乗って東岡崎へ!
予約した宿には、予定時刻の4時ちょっと過ぎに着き、ホテルにある大浴場の女性の利用時間が、4時から6時だけと決まっていたので、まずはひとっ風呂!
出かける用意を済ませてから、、そういえば八曜舎に予約したが、留守で電話に出なくて、もう一度確認しようと八曜舎へ電話を入れ、忠史さんが6時ごろ現地に入る事を確認しました。
ホテルに着いたら寝ているだろう忠史さんには、あとから電話をして、出かける時間を合わせました。ロビーに降りたら、福井の政野さんも忠史さんが降りてくるのを待っていました。政野さんも私の事をすぐわかり、美浜ライブ以来の再会でした。
3人で八曜舎へ向かい、個性的なマスターが迎えてくださいました。
八曜舎という名前は、京都にある六曜社という喫茶店の名前をまねたらしい。
ライブの参加者を記録するノートに名前や住所を書き、住所や名前の読み方をひらがなで書き加えてから、何度も何度も読み方を確認するマスター。どうやらそうしないと納得しない性分らしい。
八曜舎の2Fが予定のライブ会場でしたが、足の不自由になった忠史さんにはとても上がれそうも無い梯子階段。お客様の福井の政野さんは91歳の足の悪いお母さまを連れての参加。ということで、2Fでやるつもりのマスターでしたが、急きょ忠史さんからお願いして1Fのスペースでやることに!
2Fには、古いPA機材などあるそうですが、忠史さんの話によると、1FでPA無しの方が2Fでやるよりはるかに音も雰囲気も良いと!
巷の噂によると、2Fは笑える位汚いらしい。
1Fのスペースはカウンターが厨房を区切り、レトロな作りの縦長の狭いスペースで、歴代のライブしたアーティストらの色紙が壁一面に隙間なく貼ってあり、忠史さんの色紙も見つけました。
喫茶店なら何か食べ物かコーヒーかあるのかと思いきや、缶ビールのみ。ビールがいらない人は300円をチャージとの事でした。お店のマスターもしっかり聞く体制。
ライブ前の腹ごしらえのため、近くのコンビニまで買い物に行き、食料調達。
忠史さんは、買って来たおにぎりを食べたら少し落ち着き、元気を取り戻したようで・・。聞けば、案の定、朝から何も食べずに移動して来ている忠史さんでした。
元気がないのは、病気のせいじゃなく、エネルギー不足?!
障害のある身体になり、移動してくるだけで精いっぱいなんだと思います。
ほぼ3食欠かさず食べる私には、考えられない事です。
ギリギリの時間になって、現地の常連のライブのお客様が入ってきました。八曜舎からのライブの案内は昨日届いたと!それでも急きょ駆けつけてくれた常連さんでした。
高橋忠史・アカペラライブ!去年まで、ウクレレを音とり用に使っていましたが、今回は持参せず!もうウクレレさえ弾けないのだと!・・。
体調は決して万全ではないものの、唄い始めたら「高橋忠史」!
命がけの魂のこもったライブ。久しぶりの生声。生歌。生忠史!
身体はキツイようですが、唄っているうちに身体も暖まってくるのか、表情もいきいきしてくる。やっぱり、唄っている時の忠史さんは、一番イキイキしていると思います。難病になったけれど、精一杯生きている生きざまを見てもらい、魂の叫びを感じてもらうライブ。
最近は慌てると飲み物を誤嚥することがあるそうで、以前より、少し鼻にかかったような声で、話し方がゆっくりになった気がします。
本人はとても話しがしずらいようですが、特に聞きずらい事はなく、唄うとなると、しっかり発音しようとするプロ根性なのか、歌う時の方がおしゃべりしている時よりも、言葉は聞きやすいです。アカペラライブ。まだまだやれる!
ライブだけを見ればそう感じるライブでした。
忠史さんはプロのアーティストですから、来た人を満足させられるだけのライブを当然のようにやってのけるが、それは命がけのライブであることには変わりはないのです。
体調には波があるようで、調子の良い時も悪い時もあり、バランスが取りにくい状態での身体の移動に体力をかなり消耗するようです。
障がい者としての忠史さんは、確実に病気が進行して、障害の度合いも進んでいます。
ホテルへの帰り道、一緒にコンビニで買い物をしましたが、まず、右に杖を突いて買い物かごを不自由な左手で持つとバランスを崩しやすいのでかごを持てない。さらに、指先で物をつまむ行為がしにくいので、私がかごを持ち、忠史さんが指さす品物を私がとってかごに入れ、レジまで持って行きました。こういう何気ない普通の生活の動作が大変になっているようです。
階段3段位入口にあったが、端にある手すりのある所まで移動して、ゆっくり手すりを伝わり昇り降りをする。また、杖を突いて歩く時は、手を引いたりせず、決して触らず、本人がバランスをとっているのを邪魔しないように見守る方がいいようです。
今はふらつきながらも、杖をつきながらゆっくりですが、かろうじて一人で歩けています。
ホテルの部屋は、訳ありの安い部屋。資金を節約したい考えは、忠史さんも私も同じ考えのようで、二人とも同じ狭い作りのタイプの訳ありシングル部屋でした。
手すりの無い大浴場は忠史さんには無理でしたが、部屋のお風呂は狭かったのが幸いして、手すりが無くても一人でも何とか湯船につかり、暖まる事が出来たようです。
帰りは、忠史さんが豊橋まで出ると聞き、私もあわせて豊橋から帰る事にしました。
名鉄線で豊橋まで出て、切符を買ってから、一緒にコーヒーブレイク。
セルフサービスは障がい者には向かないですね。片手でコーヒーの入ったコップをのせてお盆を席まで持って歩くのは難しい。。そんな事を思いながら、20分ほど会話してから、私は東海道線へ。忠史さんは、新幹線でしたので、乗り換え通路でお別れ。
私は、切符を岡崎往復で買っていたので、豊橋から岡崎分をSuica利用し、いったん改札を出て、トイレ休憩と、簡単なお土産を購入してから再び改札へ!
戻りの在来線旅では、乗り継ぎ良すぎて弁当は買えず。
姫路で再びトイレ休憩して、おにぎりを買ったのは3時頃。相生で直通の山陽本線が待っていたので、6時頃には最寄りの大門駅に着きました。
忠史さんに会うたびに、障害の度合いが進み、不自由さと闘っている忠史さんを目の当たりに見ると、本当に元気だった、つい2~3年前の事が凄い昔の事のように思えます。
たった2~3年でこんなに不自由になるのかと、、病気の恐ろしさをまざまざと見せつけられます。
アカペラライブ!まだまだ可能ですよ。今なら歌えます。語れます!。。ライブ出来ます!忠史さん本人も命削ってでも歌いたいと思っているようです。
今は、何とか一人でも移動可能ですが、数か月後にもっと大変になるかもしれません。
脊髄小脳変性症は、小脳の委縮により、日に日に運動神経伝達機能が破壊され、いずれ歩けなくなり、唄えなくなり、喋れなくなり寝たきりになると言われている進行性難病です。
いつまで歌えるかなんて誰もわかりません。
忠史さんが出かけるのは命がけです。
今後、誰か家まで送り迎えも必要になるかもしれません。どんなに病気が進行しても、忠史さんがシンガーソングライターとしての活動を続ける限り、応援も続けます。













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