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千葉の道の駅ライブなどプロデュースしている、仲山茂さんが、芸能・音楽プロデュース活動に、本格的参戦!高橋忠史さんのプロデュースも含め、プロダクション設立! [PR]

<紹介>
仲山名刺.jpg
この程「office AGAIN」を新設し芸能/音楽プロデュース活動に本格的参戦をする運びとなりました。

芸能界からのタレント派遣、音楽ライブ等のプロデュースをメディアを通じ広く展開することが目的です。

まだスタートしたばかりですが温かく見守って頂ければ幸いです。 (仲山茂さんのホームページより)

千葉の道の駅ライブをプロデュースしている仲山茂さんは、元々我が社の優秀な営業マン歴のある私の会社の上司。高橋忠史さんを道の駅ライブの出演者として紹介したのは、ほんの3か月ほど前。体調最悪な状況の忠史さんを、静岡から東京に呼び戻し、千葉で仕事があるなら家族とも会えるから是非!という忠史さんと、道の駅という厳しい条件の所でも歌えるアーティストを探していた仲山さんの間を取り持ち、この3か月の中で、私は二人を取り持つキューピット役でもあり、マネージャー役でした。忠史さんにも言いましたが、私との再会、仲山さんとの出会いは、運命のような必然的意味があると、言い続けてきました。預言者の様に!だから、仲山さんとの関係はよくしておいてと!私が、仲山さんから「道の駅ライブをやっているが、知りあいのアーティストがいたら紹介してほしい」というような話を最初に聞いた時、仲山さんが同じ職場に異動されてきたのは、私とこういう事を一緒にやるためにここに配属されたのだと、何か運命のようなものを感じていました。そして、いつか具体的に紹介するなら、高橋忠史さんしかいないだろうと、紹介する前から、頭の中に浮かぶのは何年も会っていない高橋忠史さんだったのです。実際に、忠史さんのCDを聞いてもらい、プロフィールや資料を渡し、ビデオまでDVDにダビングしてライブ映像も見てもらい、どれもいい!今まで出会ったアーティストの中でも、歌が抜群に上手い。ライブのトークもいい。すっかり、仲山さんを高橋忠史の世界に引き込むことに成功し、そのうち、毎日が忠史さんの話題になるほど、仲山さんの心の中にしっかりと忠史さんが入りこんでいました。忠史さんの、お金も入れないでいつまでも嫁いだ娘の家に世話になり続けることはできないという、家族にまで気を使っての車中泊生活。借金に追われ胃痛を起こすような生活は早く辞めさせなければならない。そのためには、もう一度、メジャーな世界へ送り込むべきと、忠史さんは本来、こんな所でやっているべき人じゃない・・もったいない!・・出会った頃からそう感じていた仲山さん。付き合いの浅い仲山さんにまで、資金繰りの相談をしなければならない忠史さんを見かねて・・。お金の相談には乗れないけれど・・と、その代り・・道の駅ライブ会場で知りあった音楽プロダクションの方に直接電話して交渉し、忠史さんを雇って貰えないかと直談判!確かに、道の駅ライブで2ステージだったこともあり、演歌歌手を連れてきた音楽プロダクションの方も忠史さんのライブをしっかり聞いていて、感動されているようだったのを、仲山さんは見逃していない。しっかり、名刺交換していた。その方に、プロフィールなど資料をネットで送ると・・忠史さんのことを、まれにみる逸材!と言っていたとか。仲山さんが熱心に何度も連絡する熱意を感じて、仲山さんに人を紹介すると、芸能プロダクション関係者が沢山参加する宴会へ来るようにと言われ、仲山さん一人で、芸能プロダクション関係者ばかりの飲み会へ乗り込み、高橋忠史さんのデモCD20枚とプロフィールなどの資料を各社へ配り、名刺30枚配りきり、道の駅で唄った演歌歌手が出てくるとその曲の振り付けまで覚えていて、一緒に横で踊って、しっかり目立ってきました。さすが、千葉のお祭り男!話している輪の中にも割り込んで入っていき、テレビ局の大物プロデューサーともお知り合いとなり、仲山さんの度胸の良さと物怖じしないあつかましさ、誰とでもフレンドリーに話せる性格が気に入られ、また飲み会に呼んでもらえるよう話してきたとか。また、プロダクションを作るノウハウを教えてもらい、あんたなら出来る!とお墨付きを頂き、本格的に参戦を決意。芸能・音楽プロダクションを立ち上げることになりました。忠史さんを一人、知らないプロダクションに送り込んだとしても、会社の制約があり自由に活動できなくなる可能性があり、そんな事がおこらないようにするには、自分のもとにおいてやるのが一番とアドバイスまで頂いた。そんなこともあり、プロダクションに手放して送り込むのではなく、仲山さんがプロデュースするプロダクションの看板アーティストとして、忠史さんが所属する形をとります。仲山さんは、まだサラリーマン生活の中の活動。来年、3月で、今の仕事を辞める私は、しばらく、仲山さんと忠史さんを補佐する立場としてもマネージャー活動をもう少し続けていかねばならないでしょう。経歴プロフィールを見ただけでも音楽業界関係者が、上手くプロデュースすれば、桁違いで稼げる力のあるまだまだ可能性のあるアーティストだと、忠史さんの評価は、還暦を過ぎたにもかかわらず、かなり高い評価のようでした。何より、高橋忠史さんの音楽能力が高い評価もあり、こんなところで埋もれさせてしまう訳にはいかないのです。歌手としてだけでなく、作詞作曲、楽曲提供、ラジオなどトークでの出演、ギターでバック演奏、CD制作。PA操作。高橋忠史さんは、音楽業界にいてこそ稼げる人なのです。そうは言われても仕事が軌道に乗るまでは、忠史さんはやはり借金かかえた財政難!生活するのもやっとの状況が続く中、遠くに行って帰って来れない連絡がつかない状況は困ります。道の駅ライブのときのプロダクションの役員の方が、今度は、忠史さんのデモCDを持って音楽業界関係者に紹介し始め、気に入る人がいたら、仲山さんに会せるからと!業界のプロが忠史さんを宣伝し始めてくれているという、奇跡のようなことが起こっています。次に仲山さんが行動を起こすときは、忠史さんも一緒でなければならない。この、シンガーソングライター高橋忠史の最後かもしれないメジャー音楽業界復活チャンスを作るために、10月は音楽業界関係を回ったりする予定を入れる可能性があるため、スケジュールを無理に入れていません。それもあり、10月はあまり地方ライブを決められません。その間の資金援助が必要です。まだお持ちでないCDを買っていただくなど、少しでも忠史さんの資金援助にご協力していただきたいのです。想像してごらんなさい。忠史さんがどんな形であれメジャーなTVやラジオ、コンサート活動が出来るようになったら、自分たちのヒーローとして自慢できるじゃありませんか。自分の友達だとか泊めてあげたとか、困っていたときに助けてやったとか・・売れたらきっと、いつの間にか離れてしまったフアンまで戻って来るでしょう。もし、勝坂など、売れたらたちまち地元の英雄!田舎暮らしも無駄ではなかった。忠史さんがそう思うことが出来るそんな夢を実現したい。皆さんも、高橋忠史さんの夢を共有しませんか?そう思ってこの記事を書きました。こんなことが起こるのは、やはり、音楽業界は、首都東京が中心なのです。東京近辺に住み活動しているからこそ、こんなことがあるのです。これは、仲山さんと私が、忠史さんをもう一度メジャーな世界へ!と思い続けてきたから起こせたことなのです。そう思わせるだけの忠史さんの音楽で生きていきたいという、音楽に対する情熱を近くで充分感じていたからです。東京近辺で活動する仲山さんと私の役割と思っています。是非、今後の活動のため、ご協力をお願いします。
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